屋久島だより vol.4 春を迎える森の違い――本州と屋久島の風景から学ぶ自然の戦略
竹本大輔
この冬から春に変わろうとするまさにいまの季節、本土と屋久島の風景の差に驚かされます。
特に驚かされるのが里の「森」。鬱蒼とした森は、季節が変わってもほとんど夏のまま。落葉している木を探すほうが難しいくらいです。
翻って本州の森は、名古屋以北に至っては低地に緑の木を探すのが困難です。針葉樹主体で降雪に耐えている地域も多いのがこの季節。ただし大阪以南ではポツポツと屋久島でも見る常緑樹の割合が増えてくるので、さみしい木が半分、緑の木が半分といったところ。
ほかにも屋久島ではたとえば庭木。桃のような明るいピンク色の花をつける寒緋桜(かんぴざくら)の旬はとっくにすぎ、いままさにソメイヨシノが満開です。たとえば畑。菜の花は満開を迎え、いろいろな野菜がとうが立って旬を過ぎています。たとえば道端の雑草たち。すでにタチツボスミレなどは美しい紫の花をつけ、ミヤコグサは黄色い可憐な花をつけ、まさに春真っ只中という風情。そして森の青々とした様子。
この季節、屋久島への旅行者はこの様子を見て「あぁ屋久島って本州と違って自然が豊か、癒やされるなぁ」と感じるはずです。
ちなみに冬に木々が落葉するのは、冬の寒さと乾燥から樹木本体を守るため、と言われています。屋久島では冬の間の湿気が多く、また春の陽光が早くから差し込むため、落葉の必要がありません。むしろ常緑樹は乾燥もせず僅かながらの光合成のパワーを利用し、冬の間でも新芽を出すことができます。落葉しているとその間にまわりの常緑樹に成長されてしまうのです。つまり屋久島の青々とした様子は、厳しい競争環境を生き残る生存戦略の一つでもあるのです。
レイチェル・カーソンはその著書「センスオブワンダー」で、自然や生命の不思議や美しさに驚く感性こそ、子どもの発達に必要不可欠なものであると主張しました。この主張には賛成です。しかしながら、この感性から湧きでた「なぜ?」「なんでこんなに違うん?」といったような疑問に持つこと、そしてその疑問について自ら答えを探し出すこと、といったこととも向き合うことを大切にしたいと考えます。これこそがすなわち生き抜く力を身につけるセンバス教育である、ということなのかもしれません。